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としまの記憶をつなぐ会・お話会NPO法人「としまの記憶をつなぐ会」で、2022(令和4)年8月6日に、「富士フイルムの発祥の地は雑司ヶ谷だった!」と題するおはなし会の催しがあり、高橋慎二郎が大正時代に雑司ヶ谷に設立した高橋写真乾板研究所、東洋乾板株式会社から、富士写真フイルムにつながっていくお話を、慎二郎の孫であります高橋俊之よりさせていただきました。豊島区の地域の方々に加え、会員さんのつながりで、富士写真フイルムのOBの方々や、小西六写真工業のOBの方などもお見えになりました。高橋慎二郎が、当時、大変懇意にしていた春木榮さん(後の冨士写真フイルム代社長)のお孫さんの大橋さんもお見えになり、二人の孫の間で、新たなつながりができました。 会合後に希望者で、東洋乾板があった場所(豊島区役所の近く)や、高橋慎二郎の墓所がある本立寺へのお散歩をしました。懇親会を含めて、賑やかな会となりました。草創期の人々のチャレンジ精神のすごさで盛り上がりました <お話会資料> 当日の資料は、こちらです「雑司ヶ谷で生まれた写真技術〜高橋慎二郎の高橋写真乾板研究所、東洋乾板株式会社をたどる〜」 <近藤さんのお話> 親戚の近藤重則さんが、としまの記憶をつなぐ会の語り手として、2017(平成29)年に東洋乾板について語っている動画は、こちらです。 |